映画「硫黄島からの手紙」

先日、出版社主催の取次ぎ及び書店員を対象とした試写会があり、
クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙を観てきました。



上映に先立って、この作品の参考資料として重要な役目を果たした
「散るぞ悲しき 硫黄島総司令官栗林忠道
という本の著者である梯久美子氏が、著書の裏話を交えながら、この映画で栗林中将を演じる渡辺謙さんについて話されていました。


この映画は役者こそ日本人を起用していますが、監督はじめスタッフはすべてアメリカ人であるハリウッドのスタッフだといいます。
その中で、渡辺さんは出来るだけ間違った日本、日本人、そして日本軍というものを書いて欲しくないと考え、自分の演じる栗林中将だけでなく当時の日本軍のことをもかなり詳しく調べられたそうです。

何分外国人が日本や日本人を撮った場合、我々日本人から見れば違和感に思うことが多々見受けられる作品に出くわす事が多いため、彼はこの作品をそんな風にはしたくないと考え、そのためには「日本人として、きっちりと知らなければいけない。自分が日本を背負っているのだから」とおっしゃっていたそうです。


とりわけ印象深い話は、著者の梯さんと渡辺さんのこの映画についての会話の中で、彼は「この作品に関わるのが怖い」と再三話されていたという事です。

それは、映画が興行的に当たるとかどうとかそういう問題ではなく、この作品は紛う方無き事実であるがゆえに、実際に硫黄島で死んでいった数多の戦没者の御霊が、一体どんな風にこの作品を評価するのかと思うととても怖くなるとおっしゃっていたということです。
その話を聞き、梯さんもこの本を書く上で全く同じような思いに捕らわれたそうで、それは、"恐怖"の恐ろしさではなく、"畏怖"なのだと話されていました。


そんな話を何度となくするうちに、同じ栗林中将への強い思いが梯さんと渡辺さんを結びつけ、映画の中に出てくる栗林中将の妻からの手紙を書いたり(栗林中将からの手紙は残っていますが、現地へ出された手紙は残っていないため)して、この作品への協力をされたようです。


この新潮社刊の「散るぞ悲しき 硫黄島総司令官栗林忠道」についてはまた改めてお話したいと思います。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道





では、前置きはこのぐらいにして、映画のお話です。

どんなに言葉を尽くしても、なんだか陳腐になってしまうのは仕方がないのでしょうか?

文字にするとどこかよそよそしくて凡庸な言葉の羅列でしかなく、本当に私が感じたことの何十分の一も伝えることが出来ず、真に語りたかったことは書けば書くほど皆どこかへ逃げて行ってしまう様でもどかしくてなりません。

それでも、あえて書いてみたいと思います。

ここから先は私が思ったことをただ徒然に書いているだけなので、感想にもなっていないとは思いますが、雰囲気だけでも感じて頂ければ幸いです。







映画は、とてもよく出来た作品だったと思います。

外国人監督が撮ったとは思えない程、当時の日本を正しく描いていた気がします(まぁ、私自身も当時は生まれておりませんでしたので本当かと問われれば微妙なのですが・・・)。
時代考証から風俗、言葉もまるきり日本語のみなのに、細かなニュアンスや言い回しなど、一体どうやって演技指導したのか?と不思議に思ったりしましたね。



物語は、現代の硫黄島での発掘シーンから一気に過去へと遡り、渡辺謙演じる栗林中将が太平洋戦争末期、硫黄島に着任するところから始まります。

全編通して随所に入る、主要キャスト達の内地にいる家族の元へ送る手紙のモノローグが、とても淡々とした中に生きて帰る事かなわない自分たちの現状と、彼の地で生きる家族への感情が綯い交ぜになっていて、もの悲しく胸に響いてきます。


硫黄島を細部まで自分の足で歩き、一般兵士と同じモノを食べ、同じ環境で生活する。
その当時の高級軍人では考えられないほど、平等で高潔な人物だった上、家族に対してもとても愛情深く接していた事が全編通してさりげなく語られています。

そんな風変わりの理由は、アメリカへの留学経験があり「アメリカと戦争をしてもおそらく勝てはしないであろう」という事をよくわかっていたからだと思われます。
(映画の中でも、平和だった頃のアメリカでの出来事が描かれていて、そのシーンが中将の今の現状との隔たりをより大きく感じさせ、上手い具合に物語を盛り上げていました)

ただ、そんな経歴や思想を持つ彼は当時の軍部では異端だったのでしょう。
硫黄島に着任しても快く思わない部下は多かった様で、だんだん激しくなる戦火の中、追い詰められた将校たちが栗林中将の命令を無視して自決を部下に強要し、手前勝手に滅んでゆく様は、見ていて辛いよりもあまりの理不尽さに目がくらみそうでした。



そして、殆ど全編日本兵ばかりの描写の中で、唯一一箇所だけ、アメリカ兵との短い交流が描かれているシーンがあります。
中将の親しい友人でもあり、ロスでのオリンピックに出場していたこともある部下の西中佐のエピソードの中で、彼が傷ついたアメリカ兵を手当てしろと部下に命令する場面で、どうして手当てなどするのかと問われた時、「キミはアメリカ兵を知っているのか?」と逆に問いただしたシーンがありました。
問われた兵士はその後、その問いに対して「自分は鬼畜米英だと教えられていたけれど、本当は何も知らなかった」と思い知るに至るのです。


中佐の命令で助けられた少年兵に対して、彼は英語で話しかけます。
「キミの故郷はどこか」と・・・。

結局その少年兵は死んでしまうのですが、最後まで持っていた紙切れは故郷の母親からの手紙でした。


日本人もアメリカ人もみな同じなのに。
愛する人もいれば、愛すべき故郷もある。
同じ赤い血が流れてて、笑い、泣き、生きている。

それが、国家という顔の見えないものになった途端、なにかお互いを全く別の存在の様に認識してしまう恐ろしさ。

いまの世の中でもそれは起こりうる現象なのかもと半ば戦慄を覚えながらそのシーンを見ていました。

この映画の中で、忘れられないエピソードです。





全編通して、なにか淡々とした佇まいの中に抑圧された魂の叫びのようなものを感じた作品でした。




上映終了後、あの激しい戦いの中でアメリカ人は一体何を考え、なにを思っていたのか。
ぜひ、硫黄島二部作『父親たちの星条旗』も見てみたいと強く感じました。


戦争作品なので娯楽性というものは皆無ではありますが、それを補って余りある、素晴らしい役者さん達の演技と史実であることの重み、そして、今自分たちが生きる、なにも努力しなくとも与えられた平和の意味を、昨今の世界情勢に照らし合わせて自身にもう一度問い直すいい機会になるかも知れません。

戦争を決して美化してはいけない、でもタブーにしてもいけない。
正しく知り、考えることがこの時代に生きる私達に課せられた使命なのだと思っています。




会場内では、上映中泣いている方も多く見受けられました。



栗林中将の辞世の句です。


「国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」

                         栗林忠道