体感時間


一分を長いと感じるのか短いと感じるのか。





それはその時の気分や環境によって様々に変化してゆくものでしょうが、そもそも時間の観念とは人間の数だけ存在するとは思っていました。


しかし、その時間の捉え方が、時にはお客様と私達販売員とではこんなに大きな隔たりとなってしまうという事は、改めて怖いことだと感じました。





なんだか重たい感じで今日の日記が始まったのですが、それは、本の問合せを電話にて訪ねてこられお客様に対して、こちらが若干お待たせしてしまったことがお客様の中では遅いと感じられたらしく、その後、問合せに該当する数冊の本の内容について訪ねられた時、その電話に対応したバイトさんは、「自分では対応不可能」と考え、折返しの電話の約束をして一度電話を切ったようです。


それはたまたま、私の担当の書籍の問合せだったので、私にそのお客様の対応を代わる為、接客のお客様が終るまで待って説明を受けました。


バイトさんが言うには、その間五分も掛かっていなかったらしいのですが、私が内容を確認し、資料を揃えてお客様の元へ電話を掛けようとしていたら、そのお客様から再度の連絡があり、その内容とは「遅い!」とのクレームだったのです。



そのクレーム電話も初めはそのバイトさんが取り、「責任者を呼べ!」ということで、その時間店長不在で社員は他にいなくて、私が応対に出ました。


お客様はもう自分で怒っていることに興奮してらっしゃるようで、初めは何もいうことが出来ず、ひたすら謝罪言葉のバリエーションを話すしかありませんでした。


そのうち、お客様も落ち着いてこられて、「私は気が短いので、待つことが苦痛なのだ」と話され、最後にはなんとなく落ち着かれた様で、明日来店予定ということになりました。




確かに、まだかまだかと思って待つ時間は、普通の時間より長く感じるでしょう。
こちらは作業をしながら確認たりしていると、その体感時間は短く感じる。


「こんなにも〜」「これぐらい〜」の間には一体どれだけの違いがあるのでしょうか?

今回の件は、とても難しい課題です。